発生日 | 1970年8月 |
---|---|
体験者名 | 2017年Y004 |
登山地域 | 剱岳 |
■パーティ人数:2人
■山行スタイル:個人山行
■宿泊:テント泊
■登山内容:岩登り
■天気:曇りのち雨
■解決種別:自力下山
■登山計画時にそのリスクに対する検討を行ったか:あまりしなかった
■行動中にリスク回避や軽減が行えたか:どちらともいえない
剱の三の窓で岩登りをしたあと下山途中、濃霧のため剱頂上付近で道に迷ってしまった。今で考えれば源治郎尾根上部だったのだろう。天気は霧からやがて冷たい雨にかわった。雪途中で引き返すもやはり道がわからず、やむなくビバークを決意。やっと座れる程度の岸壁のテラスで、ハーケンを打ち身体をザイルでビレイして2人並んで一晩雨の中すごした。雨が岸壁をつたって雨具の中にしみてくるし、シュラフはぼとぼと、隣の友人は体力を消耗していたせいか相当バテている様子。一年前の夏山で穂高で低体温症で死亡した遺体をみた記憶や前日池ノ谷ガリーで見た遺体収容の景色が頭の隅によぎる。もし彼がここで死んだら、彼のお母さんや彼の彼女にどうあやまろうか、お母さんや彼女は私を許してくれるだろうか、そんなことを考えながら長い夜をすごした。夜があけてあいかわらず雨がつづいていたが、やや見通しがよくなり、頂上に戻り別山尾根をとおって下山した。
計画時 | 出発直前 | 行動中 | |
---|---|---|---|
装備 | ぎりぎりまで軽量にしたためポンチョは持っていったがツェルトはもっていかなかった。(当時のツェルトは結構重かった) | ||
コース | |||
山の状況 | 三の窓で濃霧になり、結局、予定していたチンネを登らず、濃霧の中を下山したが、この判断は正しかった。 |
計画時 | 出発直前 | 行動中 | |
---|---|---|---|
楽観的・希望的な解釈 | 何度も2人で岩登りにいっていたので、メンバーとしては何の問題もなかった | ||
調査・観測結果に基づくリスク対策行動 | |||
安全最重視の行動 | |||
リスク低減行動の継続的実践 | |||
その他 |
道に迷ったとわかったときには、なるべくはやい段階で道がわかっているところまで引き返す必要性を痛感した。それ以降はなるべく早い段階で引き返すようにしている。