発生日 | 1978年9月初め |
---|---|
体験者名 | 2016年Y178 |
登山地域 | 奥多摩と奥秩父の県境 |
■パーティ人数:4
■山行スタイル:山岳会やサークル、クラブの山行
■宿泊:テント泊
■登山内容:縦走
■天気:晴れのち雨。夜雷。
■解決種別:自力下山
■場所 :樹林帯
■原因(環境):道が不明瞭
■原因(人):記憶違い
■道に迷ったかもと感じたときにすぐに対応したか:No
■迷ったときに現在位置を把握できたか:No
■現在位置や正しいルートを確認する手段:勘
■道迷い後の行動:停滞
私が短大1年の9月、学校の山岳部(女子校)で山梨の広瀬ダムから奥多摩の雲取山~石尾根の縦走に行ったときのことです。雁峠に到着したときは晴れていて、時間に余裕があると思っていた私たちは、ザックを置いて笠取山に上りました。笠取山の山頂につくといきなりガスが出て視界がなくなり、私たちはザックをデポしているところに戻りました。そしてザックを背負って、今日の目的地将監峠に向かいました。その時、今でもはっきり覚えているのですが、黄色の乗用車が乗り捨てられていました。もう今から40年近く前の話です。そんなところに道があるわけもなく、私たち4人は、なんでこんなところにこんな車があるのだろうと話して通り過ぎました。ここからが魔界の始まりだったのです。事前の調べではここからは傾斜の緩い尾根道のはずだったのに、くらい樹林帯の道になり、雨も本降りになりました。黄色の車を見たのはちょうど昼頃。将監峠に向かっているつもりが、道を間違えたと気づいたのは2時間以上歩いてからでした。地図を見て、唐松尾岳の稜線を歩いているという目星をつけ、どこかで右に降りる道があれば正しい登山道に出られると信じ歩き続けました。でも、夕方6時になってもどこにもつきませんでした。もうどこを歩いているかもわからず遭難状態です。雨もひどくなってきたので、とりあえず平らなところを見つけてテントを張りました。稜線上の平らなところなどテントをはるべきではなかったのですが、もう疲労困憊している18歳の私たちには余裕もありませんでした。テントをはってから外にのみ水を得るために金属の鍋を並べていました。するとそのあとからすごい雷。外の鍋はキーンとなり始めましたが、その鍋を中に入れる勇気のある人もいないし、入れたところで事態が変わるかもわからないし・・・で。結局4人で夕食も食べずにシュラフに潜り込んで雷が去るのを念じました。1時間ほど雷はなり続け、最後はすごい音がして私たちのテントから10mくらいのところにある大木に落ちました。私は今でも、あの雷で「結界」が切れて、現実に戻れたのだと思っています。朝になって外を見まわすと、登山道が下のほうに見え、登山者が歩いていました。それで私たちは下山できました。
計画時 | 出発直前 | 行動中 | |
---|---|---|---|
装備 | 問題なかったと思う。 | 雨具、テント、食料など、装備に関しては完璧に持っていた。 | |
コース | 基本的には早出、早到着を基本に考えている。 | 天気が良かった為、笠取山を予定外に上ったことで、体力の消耗と時間を余計使ってしまった。 | |
山の状況 | 直前まで10時の気象通報で天気図を作成し、気象情報を入手していた。 | 雁峠までは晴れで、笠取山でガス。戻ってきてから雨。そして夜は雷。 本当に山の天気は変わりやすいと痛感。熊に会わないでよかった。 |
計画時 | 出発直前 | 行動中 | |
---|---|---|---|
楽観的・希望的な解釈 | |||
調査・観測結果に基づくリスク対策行動 | |||
安全最重視の行動 | |||
リスク低減行動の継続的実践 | |||
その他 | 短大山岳の1年生4人で、秋山山行という合宿の名目だった。本などでの情報はきちんと調べていったが、東京近郊で、しかも高い山ではないという甘い気持ちがあったのは確かだと思う。 | 山岳部だったので、日々のトレーニングもきちんとしていたし、夏山では2週間以上の縦走を重いザックを背負って歩いていた。私自身は、高校からワンゲルで山に行くことには多少なりとも体力の自信があった。年間を通じて学生時代は80日歩いた年もあった。他の3人のメンバーも同様だった。 |
私は今でも、あの登山は「ワンデリング」もしくは「結界に入った」と思っています。尾根道を歩いていた時に目にした多くの卒塔婆。尾根の左側は険しい崖の連続…など、どのガイドブックにも書かれていないことでした。今から40年近くも昔の話で恐縮ですが、この話を当時山の大先輩にしたとき、「奥多摩だから」「奥秩父だから」と北アや南アに行くよりも軽い気持ちで出かけ、そして事故にあう人は少なくないという話を聞きました。そしてこのあたりで行方不明になっている人もいると。。。山に行くと、本当に下界では説明できないようなことが起きたりするけれど、私のこの経験も、山をやる人以外には信じてもらえない話です。 その4年あと、同じ道を歩きに行きました。その時は雁峠から普通に将監峠に行けて、迷うようなところも黄色い車も見つけられませんでした。 この時は国土地理院の地図も見ていましたし、装備にも不備はありませんでした。 でも、とにかく、道がおかしいと思ったら、間違いのないところまで戻らなければ絶対にいけないと教えてくれた山行でした。